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還暦の猫 その5「老猫の尊厳」 [閑話休題]

いやはや…まったくもって現代のホモサピエンスという種族は厄介な生きものに成り下がってしまったものだ。他の種族はどの様に思っているか知らないが、少なくとも我が猫族にしてみれば迷惑千万この上ない。かつて昔のご主人様は愛玩用として猫たちをこよなく可愛がってくれたものだが(たまに生臭坊主たちが猫を紙袋に押し込んで蹴鞠するという虐待行為があったのも事実だが…)最近では愛玩というよりはナルシストな自分を引き立てるための小道具ペットに貶めて喜んでいる気がする(憤慨プンプン!)

先日、節分の豆まきでも鬼の面を被らされて家中の者から豆を投げられる始末だった。この世に生まれてまだ3年も経たないという若輩たちが特に乱暴者で、悪気はないから勘弁してあげよと主人はいうけれど本当にたまったもんじゃない。お面の眼の穴に向かって射的の様に豆を投げつけるなんてヒドイ事をする。可愛さ余って何とやら…という言葉が人間世界にはあるらしいけれど、そんなの詭弁だね。同じ屋根の下に棲む一族郎党としての優しさを見せて欲しいね。

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猫と言えどもそれなりに年を取って還暦も過ぎれば、種族を越えた見識というものが身に付いてくるものだ。お隣に飼われているレトリバー犬や屋根のひさしに遊ぶスズメたちとも互いの魂の尊厳領域は認め合っているのが良識ある生きものの世界という訳だ。(※ちなみに食物連鎖のシステムも自然界の了解のもとに成り立っている事を付加しておく)
ところが霊長類のトップとして万物の頂点に座している筈の人間は、どうも心配りが足らないようで自分たちの世界の事にしか目が届かないようだ。生きとし生けるもの全ては魂を宿しながら切っても切れない関係で結ばれていて花も木も虫も例外なく命あるものは魂を自覚しているのだが、そういった全ての繋がった関係性を何故か人間は人間世界の枠組みでしか捉えていなくて他の生きものの精神世界なんてあるとも思っていないみたいだ。

ま、そんな事はどうだっていい事で、要するに私儀還暦猫としましては豆を投げつけられながらお面の内側で屈辱に泣いていたという事だけお分かり願いたい訳です、ハイ。

節分の猫_02.jpg

豆まきという残酷なイベントが終わってひと息ついていると「お雛祭りにはどんなお面をかぶせようか…」なんていう情け容赦ない話し声が聞こえてきて、この先の身の振り方を考えさせられる一日でした。


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還暦百態物語<6>

【フィクション/還暦百態物語~その6】

じいさんの顔.jpg

 “今度の渡航は最後になるかも知れない…” そんな気がしながら事務所の整理をしていた。5年ほど前に日本に帰国してからは以前に残しておいた事業基盤を継続していたが、馴染みのベトナムの友人から声が掛かって現地で会社を立ち上げる構想が持ち上がり急遽日本を離れる決心をしたのだった。
 ここ日本での事業は不動産収入がほとんどだ。いくつかの手持ちのマンションやアパートを外資系企業とのタイアップで外国人社員の居住地として貸し出しているため、寝ていても決まった家賃収入が見込めるようになっている。安定した収入源を確保していると、バブルは過ぎ去ったとは言ってもまだまだ銀行はお金を貸してくれる処で、他にも「日本語教室」や「外国人向けハローワーク」「日本で暮らすための税務コンサル」といった在日外国人のための便利屋稼業としていくつかの会社を融資をしてもらって展開している。


 二十代半ばに屋台を引っ張って商売を始めてから四十年近くが過ぎた事になる。移動食堂から始まった屋台では「食」の発想に留まらず様々な種類の商材を扱って、いわゆる“すき間ビジネス”として成功した。「移動マッサージ」「移動似顔絵」「移動占い師」「移動マーケッター」etc. 最終的に雑多な種類の屋台をひとつにまとめて「屋台ビジネス」ネットワークをつくり運営していた時代もあったが、四十代の初めに或る華僑の事業家と出会って啓発され台湾に渡る決意をしたのが人生の転機だった。
 それまでの日本でのささやかな成功を振り捨てて海を渡った時点で、妻子とも別れて財産を手放し自分を取り巻く環境からすべての固定観念が振り払われる事になった。言わば一度死んだような感覚で生き直しをしたようなものだ。実際に海外で起業をしてみると日本で考えていた事情とは全く違うことが多い。労働基準や法律的なことに加えて、商道徳や習慣的な違いが業績に大いに影響してくる事を肌身で知ったものだった。

 台湾での商売が軌道に乗ってそこそこの利益を手にしていた頃に、相変わらずの放浪癖が頭をもたげて来て今度は他の東南アジア諸国をリサーチ旅行したくなって来た。と言うのもどうやら自分には中国や韓国・台湾での暮らしやビジネスが肌に合わない様に思えてきたからなので、華僑のお師匠さんには感謝と別れを告げて南洋の島々を探訪した。
 洗練された完成度から言えばマレーシアも起業する場として魅力的だったが、最終的にベトナムに落ち着く決心をしたのは戦禍から復興したこの国の未来に発展の可能性を感じたからだった。思っていた通りに当時のベトナムの経済は発展途上の新鮮さとパワーがあって誠実さがみなぎっていた。こういった雰囲気の国ではどんな商売でもそれなりに成功するもので、ここで10年近く暮らして現地の若者たちに“ビジネス基盤の暖簾分け”をしてから日本に帰国したのだった。それから5年が過ぎて知らぬ間に還暦を経てこの身の置き場を考え始めた頃にベトナムからのメールが届いた。第二の故郷とも言える国で、今度は多分ここで骨を埋める様な気がしている。


 身の回りの生活用品は現地調達が通例なのでトランクひとつ下げて気軽な旅の装いで事務所を後にした。二十年前に初めて日本を発つ時は悲壮な感じさえしたものだったが、根なし草の生活を続けてきた今では少しの未練も執着も感じない方が自然の様に思えた。これから裸一貫で祖国を離れてもう二度と帰らないかも知れないというのに、それが一体どうしたのだと言わんばかりの気持ちでいる。
 これが還暦を過ぎたひとつの結論なのかも知れない。これまでの人生での成功も栄誉も過ぎ去ってしまえばそれだけのものだ。この世で得たものはこの世にお返しをして去ってゆく。魂はそうやって何度も生き返りをしながら刻一刻を表わしてゆくのだろう。明日になればこの感情も彼方に流れ去り、裸の我が身がベトナムの土地に立っているのだ。

<了>

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 この読み物はフィクションで構成されているショートショートの習作です。 

 


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