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榎本武揚 考 [還暦の荒野をめざして]

激動幕末・維新の英雄といえば坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛、そして幕府側の勝海舟などが頭に浮かぶことだろう。私も若い頃はご多分に漏れず大の坂本龍馬ファンでその生き方に憧れていた。しかし中年に差しかかった頃だったろうか、維新を成し遂げた勤王の志士とは別の角度で幕末を見たとき、ひとりの幕臣の生き様に感銘を得た。それが脱走軍艦で武士たちを引き連れて函館・五稜郭に陣取った榎本武揚である。

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江戸幕府の崩壊で行き場を失った武士たちは未来の行方を見出せずに不安と絶望で悶々としていた。幕府が大政奉還をした時からそれを予測していた榎本武揚は、新体制に転身できない古い家来たちの気持ちを察して自分たちに相応しい新天地を求め開拓する考えを説明した。北海道の開墾である。それぞれの侍たちが自分たちのアイデンティティを守るために一族郎党を引き連れて新しい土地に希望を託す…祖国を失ったユダヤ民族の流浪の旅を彷彿とさせる様な、大和武士としては珍しい考え方にも思えた。

蝦夷共和国という新天地を創造し、幕府崩壊で行き場のない家臣たちに道を示す考え方は 当時の武士としては苦渋の選択でもあったが、これは転身に不器用な家来たちを犬死させないための武揚の必死の対策であった。
明治新政府に恭順せず開陽丸に乗り込んで抵抗した姿は頑固一徹にも見えるが、古きを守って新天地に向かう発想はまさに“回天”と言えるだろう。

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 ▲ 江戸幕府の誇る軍艦「開陽丸」

今にして考えると、江戸時代の幕府の政策は日本人のアイデンティティに即していたように思える。ことさらに批判するつもりはないが、明治維新後の政策は西洋をキャッチアップしようとする余りに自国の歴史文化を知らぬ間に自虐史観にしてしまったようだ。
戦後教育では米英に追従していった過去の偉人たちは取り上げられても、榎本武揚たちのような新政府に反旗を翻した者たちの心情は伝えられていない。戦前の日本はアラブ諸国と親交を深めたり、西洋文化の理解としてフランスやイタリアといったラテン系にも造詣を深めていて、今の様に米英一本やりの様なゲルマン系ポリティカル・マインドでは無かった。つまり今日の日本人の国際感覚は情報に囚われた狭い見識なもので、戦前さらに遡って維新前の江戸時代の為政者の方が広い視野を持っていたように思われる。

時代が移り自分たちの信奉して来た価値観が意味を持たなくなった時、それでも生きてゆかねばならない不器用な時代のお荷物はどのように先を見越せば良いのか?榎本武揚という人物が滅びゆく幕府の中で懸命に“パラダイム転換を試みた生き様”は高齢者の私に勇気とヒントを与えてくれる。

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生き方の話し [閑話休題]

【この記事はR60指定です】(^^;)

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人間は60年も生きれば大方は人生について何らかの結論を出しているものでしょう。それぞれが其々の生き方を実践して今日も生きているわけです。他者と比べたり他者を妬んだりといった不毛の葛藤には見切りをつけて悠々自若の日々を過ごしている…かと言えばそうとも限らないようで…まだまだ人生の達人の域には程遠い高齢層が社会的お荷物な存在となることもあるようです。私もその一員として、そんな者に語る資格があるのかなどと云わずに老人のたわ言と思って聞き流してください。
青臭かった時代の青春談義じゃあるまいし、今の時代に「如何に生きるべきか」なんて陳腐に思われるかも知れませんね。しかし、WEB もSNS も無い時代にそういったテーマで喧々諤々と朝方まで討論をしていた時代もあったのです。それが何の役に立ったのかは各自の生き様が語ってくれるでしょう。少なくとも何割かは無駄ではなかったという答えが返ってくると思います。


「ネガティブ・ケイパビリティ」という精神医学用語があります。初めてこの用語概念を聞いたとき軽いショックを受けました。私がこれまで自分の中で自問自答して来た考えが的確に説明されていたからです、それも'70年代という半世紀近くも前からその発想と取組みがあったと言われています。
通常世の中は「ポジティブ・シンキング」を推奨しています。見た目も“明るいヤツ、楽しいヤツ、幸福そうなヤツ”が評価され手本とされ基準とされている様に思います。しかし気が付かない内にそれは模範となって優位性を持ち、優劣の基準となってゆきます。私は若い頃からそんな一方的な価値判断に疑問を持っていて、それは歳を取ってから尚更不満に思える気持ちになりました。自然界は決して平等とは言えないが、人間の決めつける人間社会の不平等には我慢ならない気がします。
話しが脱線しましたが、ポジティブの対極にあるネガティブという存在に光を当てる「ネガティブ・シンキング」はマイノリティの存在に価値を見出そうと考える私には受け入れやすい思考パラダイムとして取り組んでみたいと考える様になりました。


未来を志向しない”生き方を認めることが間違いだと考えない事。“過去に価値を見出す”ことが間違いだと思わない事。登って来た山を下山することをも含めて「山を知る道である」という捉え方を忘れない様に。つまり人生は往きも返りもひとつであって、生も死もひとつなのだとすることを過去の人々は理解していた。
人の一生の本質は未来のためにある訳ではなく、今を生きて「どう生き切るか」にある様に思う。生まれてきた事は自分の責任でもなければ天の使命でもない。満足して命を使い切ることが出来ればそれが最良の“生まれ出でた証し”なのだろう。

「ネガティブ・ケイパビリティ」の基本概念をこれからも追及してゆこうと思います。“答えの無いことを追い求める”…一見矛盾に聞こえますが、これこそがネガティブ・ケイパビリティの精神だと確信しています。霧の中を泰然として歩むことは難しいけれど自分の内に起こる雑念と闘えれば可能な事でもあります。

この文頭に【R60指定】と記した理由、それはこれから未来を切り開いて行こうと思っている若者たちにまるで答えを知っているかのような説教は百害あって一利なしと思うからです。仮に百歩譲って正解を知っていたとしても、それを教えた時点で間違いとなってしまうのがこの世の原則のように思います。「道は無限にある」これが今私の言える精一杯の言葉です。

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