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還暦号リニューアル [還暦デビュー雑感]

還暦号の外装がマイナーチェンジしました。

これからの私のクリエイティブは「還暦の視点」をベースに展開してゆくと思われるので、その設定に応じたキャラやツールを揃えようとしています。

還暦号_2017ver.jpg

人生絵本表現作家・円 蛇丸は還暦号に乗って現在・過去・未来を旅する予定です。
旅路の途中に出会った興味深い出来事は記録に残してゆきたいとも考えています。さてさてどんな展開が待ち受けていることやら…

還暦号-2017.jpg

See you again! Hasta mañana.


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還暦を経て~更なる向こう側 [還暦デビュー雑感]

「還暦」という人生のエポックに何か意味のようなものを感じたのは自分が還暦を過ぎて一年ほど経ったときの事だった。
急に目の前が開けたような感じがしてその理由を考えてみたら、どうやら何かが吹っ切れたような視点に立っている事に気がついた。
某ショッピングセンターのCMキャッチフレーズに「視界360°」という言葉があったように覚えているが、還暦という齢を意識した時にまさに頭に浮かんだイメージがそれだった。

環の中心に腰を据えて、無防備なくらい裸の心の状態で、偏見なく外部世界と向かい合える…そんな在り方が出来る齢。体力も能力も劣った代わりに、生き方に心の在り方を示せることが本来の高齢者としての生き方の様な気がした。


最近になって改めて読み直し・観直しをして認識を新たにしているのが童話『星の王子さま』とミュージカル『ラ・マンチャの男』のふたつの古典的物語だ。
ふたつとも一般的に言えば私の様な初老の者にとってはふさわしくない物語だと思われるかも知れないが、その純真な童心とか若々しい夢と冒険心に触れる事は“還暦の視座”に新しい解釈を与える機会でもあった。

『ラ・マンチャの男』に登場する作家セルバンテスの創作した“ドン・キホーテ”は永遠の夢想家として広く知られているが、学生の頃に読んだドン・キホーテとはまた違った印象を受けた。
主人公と齢が近くなったせいでもあるのだろうか…その悲壮とも思えるロマンチシズムに別の深さを見い出すことが出来るようになったのかも知れない。

ラ・マンチャの男.jpg

もうひとつは古典的童話の名作・サン-テグジュペリ作『星の王子さま』の世界観の捉え方にかつて読んだ時とは違った視点を感じた。
それは他愛もない童心の創り出した幻想の様に捉えていた王子さまの世界が、とてつもなくリアリティを持った現世に思えて来たこと。
寓話とかおとぎ話をフィクションとして捉えることが間違っているとは言えないが、それが現実を比喩的に映し出した表現なのだと思えばその時点で読者の世界観は変わってくる。

若い頃の夢は現世のしがらみの中で露のように消え去るものもあって儚い思いもあるだろうけれど、還暦を経て生き続ける夢は時のしがらみを越えて魂の中に生き続けるものなのだ。そんな確信を与えてくれたのが今回の『星の王子さま』との再会だった。

星の王子さま.jpg

ドン・キホーテも星の王子さまも若い頃とはまた違った夢の見方を示唆してくれる。
夢と現実を隔てるものが意識の中から消え去ったときに還暦の新たな第一歩が始まるのかも知れない。


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『還暦の企画書』 [還暦デビュー雑感]

 

大きな力によって生かされていることも事実なのだが、ただ生かされているというだけでなく、人生を自力でプロデュースするという発想も必要なのだと、“還暦からの生き方”を考えていて思うようになった。

Windows 8.1 を購入した時に OneNote というアプリがバンドルされていたのであれこれ使い道を工夫していたら、『還暦プランニング』に役立ちそうな方法を発見した。

一般に知られている「マインド・マップ」や「KJ法」といった能力開発ツールとして役立つ感じだ。
直感を論理的に訴えるアイデアプロセッサとして使えるようにも思える。

思考の全体像を俯瞰したり、それぞれの関係性や流れを視覚的に把握するのに役立つ。
ちょっとした思いつきが独り歩きして様々なアイテムと影響し合いながら発展してゆく楽しみは、実際に試してみて発見できる。

OneNote_KJ法.jpg 

また、KJ法は日本ではよく知られているワークショップ形式のブレーンストーミングだが、学習到達度調査(PISA)で常にトップクラスをゆく北欧フィンランドでは学校教育の一環として『カルタ』というメソッドが使われている。

自由に発想をして、但し「何故?どうして?」という問いかけを怠らないレッスンが、固定観念の常識を超えた新しい視点や発想を生み出す。
制約の無い質問という私たち日本人の苦手とする学習方法がフィンランドの教室では活かされている。

OneNote_カルタ.jpg 

さてそろそろ本題に入って『還暦の企画書』というテーマですが、
現役時代にビジネス志向で書いていた企画書とは基本的なコンセプトが違う事をまず認識しておかなければなりません。
今回試みる企画書というのは従来のマーケティング思考ではなくて、新たな世界を発見・構築するための思考のスケッチノートという感じのものです。

まったく論理的でなくても構いません。いやどちらかと言えば、理論や常識といった観念を取り壊した方が新しい視界が開けてくるかも知れません。
『還暦』のイメージ座標は“世間から少しばかり距離を置いてポッカリ浮かんだ蓮の円座”を思い浮かべて下さい。
360度視界の良いその円座から辺りを見回すと、これまでの世間のしがらみとは無関係な心地良い孤独を感じませんか?
『心地良い孤独』…この感覚を携えて様々に思考を巡らしてみましょう。

ウケを狙う訳ではありません。誰かに取り入ろうとする訳でもありません。もちろん媚びを売るつもりも毛頭ありません。
『還暦の企画書』はこれまでの人生これまでの世の中ではとても発表することの出来なかった、たった一人の思い入れをプレゼンテーションする企画書なんです。

分からせようとする努力は必要ですが、分かってもらえるかどうかは相手次第ですね。まさに万事を尽くして天命を待つ心境を学ぶわけです。
『還暦の企画書』はあなたに新しい視点をもたらすチャンスでもあります。
企画書を通してどんな世界を描いてみたいと思いますか?どんな世界を提供したいと思いますか?どんな世界を共有したいと思いますか?
貴方にしか手に出来ないおもちゃ箱から、そっと自慢げに取り出し紹介してみて下さい。

スケッチ_160829A.jpg

<平成28年11月・記> 

 


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アートギャラリー「還暦」オープン! [還暦デビュー雑感]

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ひとつ私流のコラージュ作品をつくってみようと思ったことが始まりだった。
学生の頃にいくつかコラージュを作った事はあったが、広告デザイナーとしてイラストをやっていた頃はまったくそういったスタイルは考えもしなかった。
ドローイングとは違った面がコラージュにはあって、またひとつ別の自分の持ち味が表われるような気がする。

コラージュの場合、特に素材の収集と画面構成が大切な要素となるのでデッサンしながら形を整えるというよりは、初めからテーマに沿ったある程度のコンテンツは揃えておかなければならない。
そこでコラージュ作品のテーマとして「還暦」を選ぶことにした。
「還暦」というテーマで私の表わしたい・伝えたい事は何なのか、コラージュする素材を集めながらそれを考え続けることになる。

そして「還暦」をテーマにコラージュ作品のシリーズを発想したのだから、どうせなら今後の還暦テーマ作品の総称として『アートギャラリー「還暦」』としてみてはどうだろう…という訳で、いとも安直に決定した。
『アートギャラリー「還暦」』…とりあえずSo-netブログ上にてオープン!
 

還暦の旅_02.jpg

【無題#1】 

 


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還暦学~もうひとつの人生を生きる [還暦デビュー雑感]

還暦を人生の総括地点などと言ってはオーバーな表現だが、私はそれほど還暦という節目の意味を重要にとらえている。
と言うのも、還暦を経た私はこの時期を境にして自分の人生のパラダイム変化を実感したからだ。

人ひとりの人生について考えると、多くの場合は幼年期から壮年期にかけて学び教わり習得した経験則(一般的に「社会経験」とも言われる)によってアイデンティティや価値観などを決定づけてゆくと考えられる。別の見方で見れば、個々の人間形成は出会いとか事件といった偶然性の要素と共に、その時代の社会的権力潮流によって好む好まないに係わらず大方は決められてしまう様にも見える。

私個人の考えで言えば、これまでの人生は社会と私の共同作業であって、価値観も欲求も社会と相談しながら(顔色を伺いながら)調和させてきたものと言える。
そういう意味においては、私は60年余りの人生を生き切った。もう充分である。これ以上同じパターンで前ばかり見て生きていても発展的な可能性の生まれる要素はなさそうだ。

そこで私は立ち止まり、還暦の円座から辺りを見回してみる。
そして周りには、私がこれまで気づくこともなかった様々な視点と自由な価値観の選択を発見するのである。
一見すると矛盾に聞こえるが、「宿命を受け入れることで初めて自由を手に入れられる」事に気がついた。

今いる処を“頂点”と考えれば、改めて下山を始める意識が生まれる。
「下山の思考」とは私が“還暦の円座”に位置してから気づいた発想で、従来マイナス思考と否定的に言われていた行動パターンを敢えて価値創造に結び付ける発想である。
そしてそれこそは還暦を経てきた者のための新発想を示唆している。

宇治橋.jpg

私の個人的欲求から発して探究するこのジャンルを「還暦学」と命名することにした。
果たしてどこまで続く好奇の旅かは分からないけれど、還暦の世界観を旅することが、還暦を生きることに繋がるのだろうと考えている。

 


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かんれき号 [還暦デビュー雑感]

還暦という次元の世界を縦横無尽に生きるため
「かんれき号」という乗り物を設計しているところです。

どういったコンセプトで取り組んでいるのかと申しますと…

還暦号_B2.jpg 
 ▲「還暦号」ロケットエンジン・バージョン

①これまでの生き方の発想や考え方に縛られない。
②過去を否定はしないが、それ以外の価値観と可能性を積極的に求める。
③これまで出来なかった事だからこそ、やってみる価値がある。

還暦の意味を外国人に訊かれたらどの様に答えますか?
私は最初に「A full-rounded age」と銘打って説明します。
"A FULL-ROUNDED AGE" とは私の造語です。ここに私の「還暦」のコンセプト、捉え方が表われていると思っています。

還暦とは人が社会的に生きてきたひとつの到達点と私は捉えています。社会の一員として、あくまでも社会的に…。
そしてそれぞれがひとつの答えを出す、けじめを付ける時代だとも思います。
それは何故かと言えば、この先の最終ラインに向けて軌道修正に思いを描くためです。

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 ▲新しく考案された「かんれき号」。円盤スタイルの乗り物です。

「かんれき号」に乗って還暦世界を旅しようと考えています。
旅をすることはその世界を肌身で感じて深く広く模索することです。
経験と実感による理解をしたければ、迷いながらも旅をすることが一番です。
「書を捨てよ街に出よう」という寺山修二氏の言葉がありましたが、
人生の旅路の中で還暦を理解するには、
固定観念と偏見を乗り越えて率直に向き合うことが一番だと考えます。

「かんれき号」は人生の終焉に向かって旅する乗り物です。
どういった目的地を求めてゆくのか…それは操縦する私達自身が見つけてゆくのです。
新しい次元の刺激的な旅はまだまだ続いて行きそうです。

 


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還暦デビュー [還暦デビュー雑感]

「還暦デビュー」というコンセプトを進めてゆこうと考えている。

言葉を変えれば「新次元からの出発」でもある。
これまでとは別の視点と価値観の生き方を始めてみる事はとても重要な事の様に思える。

私たちは生まれてからすぐに社会の洗礼を受けて育つ。
社会的な制度や価値観を基軸として、それに沿うも沿らざるも既に先入観を受け入れるところから出発する。

その事自体は現実でもあり事実なのだから私は容認できる。
いやそれに準じて生きることが賢明だとも思う。
どの様な理屈を並べ立てても、人は現実社会に生きているのだから。 

しかし、だからこそ意識のある者は“社会というもの”に蹂躙されてしまってはいけないと自覚する。
これは「自由」だとか「独立」だとかいうレベルの概念ではない。
敢えて言うならば「質的次元」の問題なのだ。

「還暦デビュー」とは
これまで気づくことのなかった世界にフォーカスを合わせ
普遍的よりも個人的価値観の実証に生きる意味でもある。
社会的なデビューの反面で、思想的には脱社会的な発想を保ち続ける生き方である。

落陽.jpg

 

【らせんの旅路】


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脱社会されど社会 [還暦デビュー雑感]

生まれた時から社会の一員としての教育を受けて育つ。

その結果、社会の規範から外れる事は人の道からの逸脱であり、また人生を転落させる事でもあるという先入観を植え付ける事になる。

社会全体が調和して平和に進められるためにはそういった共通の認識が必要であり、社会通念が求められる。
人は共存の必要性から同朋意識を培ってゆくのだが、社会とか国家というものが形成されると「同朋」が「同胞」に変化して同胞意識による結束・繋がりを求められるようになる。 

成長してゆくに従って、ますます人は社会に適応してゆこうとするのだが、「個」を失ってゆく感覚に恐れを抱く臆病な者は心のどこかで「脱社会」を希求する。

還暦~虹の扉.jpg 
  ▲ 「還暦~虹の扉」

私が「還暦」をひとつの時代の区切りとして位置付けしようとしたのは、そういった認識からである。

人は果てしなく幻想を追い求め、自分自身を見失い、生命を消費する者として人生を終えようとする。
しかし、人の命の終着点は同じように見えてもそこに至る道程は様々であり、それから先を知る者と知らざる者には違いがある。

「還暦」は気づきの扉である。
これまでの生き方の根本的な誤解に気づき、先入観を整理して自己の願いに沿った世界を生きる。
生きてきた垢を落として、新たな次元に目を向ける祝福の時とも呼べるかも知れない。

 ※(宗教においては「悔い改め」とか「洗礼」とかで改宗の手段に使われる事が多いが、その先の指針を与えられた時点ですでに似非託言に囚われてしまう事が多いので注意が必要)

青年期から熟年まで、私たちは社会の規範の元に人生を全うする事が取りあえずの生き方である。
そして十分に生きた後には、魂を社会から解放して…されど肉体は社会に属して「生きる知恵」を働かせてみたいものである。

「脱社会、されど社会」 これが現在の私の還暦を経た生き方の発想の基になっている。

 


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開眼還暦世代 [還暦デビュー雑感]

還暦というのは人としてひとつの時代を生き切って、次の異次元に向かう一種の扉のようなものではないのだろうか?…と、そんなふうに考えてみた。
私の中の世界観(宇宙観)では、存在する生命エネルギーは離合集散バランスの変動はあるが全体量としては常に一定で変わらないという感じで捉えている。
例えば人の肉体に魂が宿り人間社会を生きてゆく訳だが、死を迎えて肉体が滅して魂がエネルギー分解されたとしても、“まったくの無”に帰するわけではないと思っているからだ。

人生の終焉を意識し始めて、初めてこの世に生を受けた事の重みを感じることとなった。
私が個人的な経験を通して辿りついたまったく個人的な見解であり、決して唯一絶対的な真実であるなどとは言わないが…しかし私は私個人の胸の中で断言する。
「私の魂は私の死によって終わるものではない。」
「私という存在は無くなるけれど、死とは魂が私個人の所有から解放される事なのだ。」

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還暦とは“開眼の機会だ”というふうに理解できるようになった。

人は生まれてから、ほとんど不本意な生き方を強いられて生きる。
様々なしがらみもあれば、不遇な環境に生まれる事もある。
人の一生というものがそういった宿命を含んでいるのだろう。
しかし世間から一歩距離を置いて生きる“隠居生活”に入れば、そういった諸々の拘束から解放された視点を持つことが可能になってくる。

出家という形式をとらなくても、己が囚われている社会通念の枠を取り外すことで魂の解放は出来る。
還暦とは社会通念から一歩退いて、大局的に自己を眺める良い機会、人生における唯一生き直しの機会なのだと思う。
この時期に目を覚まさなければ、人生を知らずして自己を終わることになる。

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偶然と必然のコラボレーション。それが人生ではないだろうか。
…そういった諸々の事柄も、頭脳だけでなく身をもって全霊で自覚出来るようになった。
頭脳を超えた理解と把握、これも一旦人生を締めくくり「還暦」を経た境遇だからこそ得られる感覚のように思える。

自分の能力や意志で物事が叶う訳ではない。
学ぶ事は必要かも知れないが、努力に比例して能力が得られる訳でもない。
自分の存在を無視して無関係に起こる様々な偶然を受け入れる覚悟がなければ
“偶然と必然の綴れ織り”のような人生模様を描くことは出来ない。



…そういった諸々の悟りは、これからを生きてゆこうとしている青年たちにとっては無用であり、時として有害でさえある。
私は未来に希望を託して未開の領域を開こうと考える人たちに、年寄りの訳知り顔で道を諭す事は間違っていると思っている。
還暦を経た者の覚醒は、それより先の人生を生きることに於いてのみ有効な悟りなのである。

剣豪・宮本武蔵は60歳を過ぎてから思い立ち、九州・熊本の霊厳洞に入って「五輪書」を執筆したという。
私も宮本武蔵に倣って、人生から学んだ個人史として「還暦・五輪の書」でも記してみたいと思っている。

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<了> 


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考察還暦世代 [還暦デビュー雑感]

様々な視点から、「還暦」という節目には大切な意味が含まれているように見える。

12年のサイクルを5周回して60歳にたどり着いたところで、ひとつの人生に区切りを打つ。何とも綺麗な節目のように思える。

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人も60年も生きていれば、そろそろこの世の真髄を悟り始める頃で、もうこれ以上のものは無い事も分かってくる頃なのだろう。

生まれたばかりの頃は全てが新鮮で好奇に満ちているが、社会という枠の中で生きている内に人間の宿命のようなものに束縛されている事を発見してしまう。
若い頃は未来に多くの可能性を感じて胸躍らせて日々を生きたりもするが、ここまで来るとそれらの殆どが幻想であることを悟り、改めた世界観に目を向けるようになる。



数々の人生経験を積み重ね還暦を経た人の、これからの指針はどこに向かっているのだろうか?
何のために、誰のために、何を達成しようとしているのだろうか?

総括には早すぎる熟年世代とは違って、老熟を向かえた還暦世代は様々な反省を基に自身にとっての未来を再スタートさせるべき世代だと思っている。

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マスコミなどで語られている「元気な世代」として捉える事には疑問がある。何となく全体的政策的な意図を感じてしまって…。
それよりも私は還暦の意味を理解してその先の生き方を模索する、そんな実験的な人生を探究出来る世代として捉えてみたい。

元気な若い時代は真の意味で“探究”などという事は出来ない。
実験は出来るかも知れないが、世の流れに逆らって、世の中の価値観からズレた生き方を試みる者は少なく、
仮に試みたとしても殆どの場合そこに良い結果は待っていなくて、マイノリティの存在を実感する結果にとどまる。

ある意味で現役の社会からリタイアをしたという事は社会通念に縛られずそれらを超えたところに棲み処を構えられる世代になったという意味でもある。
生まれてきた赤子のように固定観念や偏見を知らず、社会性というリスクも軽くして自身の憧れに率直に生きる。そんな「生命の喜び」のような生き方を模索してみる最後の機会かも知れない。

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