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還暦の猫 その3「猫族の使命感覚」 [閑話休題]

還暦ミカン_横眠り.jpg

猫にも様々な姿がある。
生まれ立てでミャーミャー鳴いてばかりの幼い猫。体力知力も付き始めて世の中に好奇心いっぱいの子猫。ヒトとの共生を図りながら猫社会でテリトリーを築く成年猫の時代。そして円熟し達観した還暦猫。
巷では愛玩ペットとして可愛い子猫たちに人気が集まっているようだが、猫だって若いものもいれば年寄りの猫だっている。それを忘れてもらっては困るというものだ。

還暦猫ミカンは今日ものったりと暮らしている。今年の夏は特に怠そうだ。元々はアフリカの熱帯で暮らすライオン、ジャガーといった種族の血統だから暑さには強い筈なのだが、家猫として十数年も暮らすと野生の体力は低減するらしい。あの精悍だった顔つきは何処へ消えたかと思うくらいに、すっかり好々爺宜しく脱力の風貌で無防備に寝ている。

還暦ミカン_棚上眠る.jpg

さてさて日中はのったりしているミカンだが、還暦猫としてのプライドもあって夕暮れ時になれば野生の仕事に戻るのが日課となっている。夕涼みを兼ねて玄関先に出ては、何か異様な気配が無いか怪しい者は居ないか夕闇に目を凝らしている。…と言うとまるで頼もしく聞こえるが、実は我が家の門番をしているわけではなく自分のテリトリーに他所の野良猫が侵入して来ないか見張っているだけなのだ。

還暦ミカン_警戒.jpg

しかし猫なりの思いというものを誤解してもらっては困る。還暦猫ミカンにだって義侠心はあるし一宿一飯の義理を思いやる気持ちもある。けれどもそれは人間社会に身を置いた人間社会で生きる生きものとは捉え方が少しばかり違っていることを人間は理解しなけりゃいけないね。
生きとし生けるものすべて生きものたちは真剣に生きている。誰もが生きるために最善を尽くしているのさ。だから猫だって同じことで生きるためのルールはしっかりわきまえているつもりだ。人間のつくった猫の偶像を今一度見直してもらいたいのが猫族の大方の意見だと思うよ。

人間と猫との違いのひとつに「使命感」という概念がありそうだ。ヒトの世界では社会的責任というものがあるらしくて、それが時には使命感と同意語にもなったりする様だが、猫社会では少し違っている。そもそもこの世に生まれ出でたことは自分の意志でも仕業でもないから、生きている事に使命とか責任とかいう感覚は見当違いという訳で、あるとすれば私に生を与えた神の御心と説明するしか無い。あ~面倒くさい。
そもそも猫族はこういった面倒くさい事が大嫌いなので、人間の様にあまり考えない事にしている。人間は猫に考える能力が無いからだと思っているみたいだが、その程度の能力が猫に無い訳ではなくって面倒くさいだけのことなのだ。

闇のミカン_02.jpg

還暦猫ミカンは大方の猫族と同様で面倒くさいことが大嫌い。そもそも面倒なことをするという行為は猫としての生態哲学に反しているからだ。“猫の美学”に反していると言い変えても構わない。
人間と共に暮らしてその生態を見ていると、どうしてあんな面倒くさい考え方を実践しているのだろうと不思議に思ってしまう。例えば生き方にテーマや問題意識を掲げて思い悩みながら生活している。「人はパンのみにて生きるにあらず」とか言って、何か別の目標らしきものを必要としている。所謂ライフワークというものらしいけれど…猫族には理解を超えた範疇なのか、それとも未体験ゾーンで理解をしていないだけなのか?

そんな訳で、生きている日々の中で猫としてのライフワークを考えてみるのだが思い浮かんでは消えてゆく…どうもしっくり来ない。やっぱり猫の世界に於いては面倒くさいだけで必須ではないもののようだ。


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還暦の猫 その2「従属の日々」 [閑話休題]

還暦猫ミカンの日々と言えばそれはもう穏やかなものだ。しかしそう思うのは猫から離れて眺めているからであって、ミカンの次元に同化してみれば実は猫にしかわからないストレスと窮屈感を感じる事となる。


もうすっかりミカンの視点でものを見ることに慣れた私は、時折りヒトの次元から離れてこの世界というものに浸ってみるときがある。
一見呑気そうに見える還暦猫の日常だが外から思うほど生易しいものでは無さそうだ。やはり生きてゆくという事は猫たちの世界であってもそれほど楽な事ではないらしく猫には猫なりの戒律や掟があって、そこからはみ出して生きる事は自由奔放と言われる猫たちにとってもむずかしい事のようだ。生きとし生けるもの全ては何らかに従属せねば命を長ら得る事は出来ないのかも知れない。


ミカンと_03.jpg


「一体、我々猫族はこれまで何に従属して生きて来たのだろうか?」愛猫ミカンも還暦を過ぎてからそんな事を考えるようになってきたようだ。その証拠に近頃後ろを振り向きながら歩く仕草がよく見られる。これまで前ばかりを見て歩いていた猫が振り返りを始めたことは少し驚きだった。
何を恐れて何にへりくだって生きて来たのか?人間たちは猫族のことをまるで勝手気ままな恐れ知らずの気まぐれのように見ているらしいが、猫もこの宇宙の生命体のひとつである限り決して他の生き物と違うところはない。人間というヤツは何故かヒトと動物を差別化して捉えようとする。そうしないと自分の優位性を保てないとでも考えているのだろうか…。


従属という事で言えば、飼われ猫の場合は餌を確保するための行動が従属的かも知れない。どうしてもご主人様の顔色を伺って調達しないと、勝手にキッチンのおいしそうなシチュー鍋に顔を突っ込んだりすると「泥棒猫」などという有り難くない呼び名を付けられる。


食卓のミカン.jpg


しかし飼い猫としての暮らしに決して不自由を感じている訳ではない。神様は猫という種族に恐れを知らない自由奔放な思考を与えてくれたようだ。近所で見かける犬族の「飼われ生活」と比べると猫の飼われスタイルの方が生き生きしている様に見えるのは手前びいきな見方だろうか。
犬族はなかなか律儀で忠誠心がある様に見えるが、それは人間世界の価値観に縛られ同調しているだけで決して犬族の本意などではないだろう。だから猫族のスタンスから見れば同じ従属するにしてもその様な従属の仕方は骨抜きにしか見えない訳なのだ。


所詮この人間の支配する世界で生きてゆくにはあらゆる生き物は従属を強いられるけれど、猫族の誇りは遥かエジプト文明の壁画に描かれている時代から玉座に座る生きものとしての誇りを秘かに持ち続けているのである。
だから見識のある洞察の深い類いの人間はこの猫族のすり寄るような態度を「猫かぶり」と称して、その裏に在る確固たるプライドに猫らしさのアイデンティティを見るのである。


しかしそうとは分かっていても、この猫たちのコケティッシュで小悪魔的な仕草にはつい負けてしまう。まるで魅入られたように彼等の思惑通りに付き合ってしまうのだ。
還暦猫ミカンにしても例外ではなく、猫の世界を生き抜いてきた百戦錬磨の老猫のくせに何かをねだる時だけは“人の力を借りなければ生きられない”無力で無防備な猫を装って抱かれに来る。


ミカンと_01.jpg


ちなみに、このところ多いおねだりと言えば「好物の食事」「外出のため玄関を開ける」「背中とアゴを掻く」が上位3つに入っている。
還暦を過ぎてから餌のメニューにうるさくなった事と、以前は勝手に出入りしていたのに外の様子を伺ってから玄関から外出するようになった事、そして地肌が荒れてかデキモノが出て来て痒いらしく身体を摺り寄せ抱かれてくる事が多くなった。
こんな付き合いをしているとゆくゆくは介護を必要とされるのではないかと思ってしまう。還暦猫ミカンの老後にはどんな「猫族世界」が待っているのだろうか?


 


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還暦の猫 [閑話休題]

ある時から『還暦』という人生の節目に興味を感じて、自分なりの視点から考察したいと考えるようになった。
考察するというよりも、還暦を自覚して生きることに何か新しい発見と価値があるような気がしたからだ。

自分の生き方や周りの環境を『還暦』の概念とキーワードで捉えてみると、その視点の変化によって様々な発想の転換が斬新で、一種の゛生き直し”をしているような感覚さえもあった。
発想の視点を変えるとすべてが新鮮でもあり、それまでの抑圧から解放されたような気分だった。
少しばかり有頂天になった私はその還暦のポジションを人生最終的な指定席という思いから様々な思索をはじめたのだった。

ところがある時、そんな私を別の次元から眺めている何者かを感じた。
何とも言えぬクールな眼差しで、私の達観をせせら笑う様な何者かの存在を感じたのだった。

それは何処でもない、私が絵を描いている作業場の後方頭上から感じる視線だった。
どうやらそこは我が家の年老いた牡猫『ミカン』のくつろぎ場所らしい。
よくそこで居眠りをしながら世界を眺めている様子を見かける。

棚上ミカン.jpg 

年老いた愛猫『ミカン』にもそれなりの歴史がある。
ある嵐の夜に我が家の車庫の隅で鳴いていたのを当時小学生だった孫が玄関先まで連れて来たのが始まりだった。もう10年以上も昔の事になる。

ミカンが家に来た頃、同じ様に3匹の猫たちが我が家にやって来た。
白猫とトラ猫、そして三毛猫とそれぞれ毛並みの違った三匹だったが、トラ猫の方は数日後他所に貰われて行った。
結局我が家には白猫の『シロチビ』、三毛猫『ブッチ』そして長男格の『ミカン』の三匹の猫が突然居住する事になったのだった。

ミカン還暦_B01.jpg 

その後あれよあれよという間に子どもが生まれたり迷い猫が居ついたりして、一時は12匹もの猫たちが暮らしていたこともあった。
当然ミカンは猫たちの長として君臨していて他の猫たちにもやや距離を置く存在になっていた。
そんな中でいつの間にか私にとっても“可愛らしさのない猫”というイメージが定着してしまった。子猫だった頃の様に甘えてすり寄って来ることも少なくなったからだろう。

近くに散歩に来る他所の犬をけん制したり、真夜中に出掛けて眉間に傷をつくって帰って来たりと、若かった頃は数々の武勇伝もつくってきたミカンだったが、一年くらい前からめっきり衰えを感じさせることが多くなった。
猫にもアルツハイマーなんてあるのかな?あったとしても気位の高い猫の事だから、きっとそんな事では悩んだりしないのだろうと思う。

動作が緩慢になってきて、この前などはエアコンの暖かい空気に触れようと背の高い棚に飛び乗ろうとしたところ…目標を見誤ったのかずり落ちてしまった。
滑り落ちながらガリガリと棚の側面に爪を立てて這い上がろうとする様は、もはや若かりし頃の切れのある勇壮なミカンの面影はなかった。

棚から滑り落ちた後は何事も無かったかのように平然とした様子で私のところにやって来た。 
そして「あれはほんの余興なのさ…」とでも言わんばかりに強がりの表情を見せていたが、何だか少し照れ気味な気弱さも見えた気がした。

ミカン還暦_B02.jpg 

我が家の猫たちの中でも一番強面(コワモテ)だったミカンが、こんな気弱な表情を見せるのは驚きだった。
歳をとって何かが変わったのかも知れない。それは一体何なのだろう?
甘えたい…? すり寄りたい…? 抱かれたい…?

それ以上に、“私と会話がしたかったのだ”と気づいたのはもう少し先の事だった。
ある日ミカンの眼を見つめながら猫の鳴き声で気持ちを表そうとしていたら、逆にミカンの方が私の口元をじっと見つめて言葉を発しようとして注意深く私の言葉に耳を傾けているような表情をしていた。
そんな事がしばらく続いた数ヵ月後。部屋の隅のほうからミカンのいつもと違う鳴き声が聞こえてきた。
まるで発情したオスがメス猫を求めるような鳴き声にも似ていたが、それとは全く違うものだということは分かった。どうやら私の口の動きを真似てみた結果らしい。

今度は私がミカンの理解に努める番だ。
何種類かその時々の感情に応じた猫の鳴き声をマスターもしたが、何といってもミカンとは同じ“還暦”の者同士となって以前とは違った関係性が生まれたように思える。

 

※この項、不定期的に続く・・・to be continue. 


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人生絵本表現作家 [閑話休題]

So-net のブログを始めて何年が経っただろう。
ものを書くという作業が日常的な習慣とまではいかなくとも、自己表現のひとつとして体に馴染んではきたようだ。
ある意味で、これまでのブログは入門編だったような気がして、改めてテーマを絞った別のブログを始めることにした。

開設に際して「人生絵本表現作家」という、一見仰々しくオーバーとも思われそうな自己宣言をする。
しかしこれは決して大袈裟に見栄をきったつもりではなく、私のこれからの所信やコンセプトを端的に表そうと考えついたフレーズなのだ。

  • 人生」…私の興味の対象は人が生きるという事そのものだ。
    私自身についても勿論人生こそが作品の舞台である。
  • 絵本」…文字に絵が付けばそれが私には絵本である。
    学生の頃よく描いていた詩とイラストも思い起こしてみれば絵本であった気がする。
  • 表現」…私にとって生きるという事が表現である。
    生き様とは表現のことであり、表現こそが生き様である。
  • 作家」…絵本作家という意味合いを持つ。
    英語で紹介するときは"artist"や"creator"を用いることもあるが、日本的な意味で作家がふさわしいと思っている。

還暦を経た私は、人生の山を登頂から下山に向かい始めたところである。
頂きをめざす勇壮さと比べれば、山を下り帰郷する姿には侘しさが漂っているかも知れない。

しかしそれは決して悲しみではないことを、虚しさではないことを私は伝えたい。
人生の帰り道にはそれ相応の歓びの輝きがあるものなのだ。

人生の絵本を私は表現作家として綴ってゆきたい。

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私と絵本 [閑話休題]

絵本と私との関わりについて記しておきたい。

子どもの頃の記憶ではっきりと覚えているのは、枕元に絵本を並べて寝ていた事である。母親に読んでもらった記憶はうろ覚えながら少しはあるようだが、それよりも兎に角、枕元にため込んだ様々な絵本をひとりで眺めていた場面をはっきりと覚えている。

4、5歳の頃に馬の絵を描いて周囲の大人に褒められたことがあり、これが私が絵を描き始めるきっかけとなった訳なのだが。考えてみれば、それ以前の原体験として、枕元で数多くの絵本を眺めていた事が私に絵に対する夢と憧れを育ませたように思える。

お絵描き_幼児.jpg

二十代の頃に絵本作家になりたいと思ったことがあった。谷川俊太郎さんや上野紀子さんとかが活躍していた頃で、ディック・ブルーナの色彩にも魅せられていた。

私が絵本の魅力に惹かれ触発されたのは、やはり多感な青年時代に北欧のフィンランドで暮らした事が影響を及ぼしているのだろう。

特に湖畔の別荘で過ごした自給自足に依る自然との共存生活。そして、“生活の中に在る「美」意識”の発見は、様々な角度から価値観の転換をさせたようだった。

スオミの湖.jpg



長い道のりを辿って、ふと自分の身辺を見回したときに、私が気づいたものは「絵本」であった。

それは、若かった頃の絵本に抱いていたものとは異なっていたが、紛れもなく私にとってより核心に触れる自己の分身のひとつとして成長していたようだった。

手づくり絵本.jpg

そして今、確信をもって答えられること…

「私にとっての絵本とは、“自分自身を現わし伝える存在…私の息吹き”なのです」


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