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還暦の猫 その2「従属の日々」 [閑話休題]

還暦猫ミカンの日々と言えばそれはもう穏やかなものだ。しかしそう思うのは猫から離れて眺めているからであって、ミカンの次元に同化してみれば実は猫にしかわからないストレスと窮屈感を感じる事となる。


もうすっかりミカンの視点でものを見ることに慣れた私は、時折りヒトの次元から離れてこの世界というものに浸ってみるときがある。
一見呑気そうに見える還暦猫の日常だが外から思うほど生易しいものでは無さそうだ。やはり生きてゆくという事は猫たちの世界であってもそれほど楽な事ではないらしく猫には猫なりの戒律や掟があって、そこからはみ出して生きる事は自由奔放と言われる猫たちにとってもむずかしい事のようだ。生きとし生けるもの全ては何らかに従属せねば命を長ら得る事は出来ないのかも知れない。


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「一体、我々猫族はこれまで何に従属して生きて来たのだろうか?」愛猫ミカンも還暦を過ぎてからそんな事を考えるようになってきたようだ。その証拠に近頃後ろを振り向きながら歩く仕草がよく見られる。これまで前ばかりを見て歩いていた猫が振り返りを始めたことは少し驚きだった。
何を恐れて何にへりくだって生きて来たのか?人間たちは猫族のことをまるで勝手気ままな恐れ知らずの気まぐれのように見ているらしいが、猫もこの宇宙の生命体のひとつである限り決して他の生き物と違うところはない。人間というヤツは何故かヒトと動物を差別化して捉えようとする。そうしないと自分の優位性を保てないとでも考えているのだろうか…。


従属という事で言えば、飼われ猫の場合は餌を確保するための行動が従属的かも知れない。どうしてもご主人様の顔色を伺って調達しないと、勝手にキッチンのおいしそうなシチュー鍋に顔を突っ込んだりすると「泥棒猫」などという有り難くない呼び名を付けられる。


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しかし飼い猫としての暮らしに決して不自由を感じている訳ではない。神様は猫という種族に恐れを知らない自由奔放な思考を与えてくれたようだ。近所で見かける犬族の「飼われ生活」と比べると猫の飼われスタイルの方が生き生きしている様に見えるのは手前びいきな見方だろうか。
犬族はなかなか律儀で忠誠心がある様に見えるが、それは人間世界の価値観に縛られ同調しているだけで決して犬族の本意などではないだろう。だから猫族のスタンスから見れば同じ従属するにしてもその様な従属の仕方は骨抜きにしか見えない訳なのだ。


所詮この人間の支配する世界で生きてゆくにはあらゆる生き物は従属を強いられるけれど、猫族の誇りは遥かエジプト文明の壁画に描かれている時代から玉座に座る生きものとしての誇りを秘かに持ち続けているのである。
だから見識のある洞察の深い類いの人間はこの猫族のすり寄るような態度を「猫かぶり」と称して、その裏に在る確固たるプライドに猫らしさのアイデンティティを見るのである。


しかしそうとは分かっていても、この猫たちのコケティッシュで小悪魔的な仕草にはつい負けてしまう。まるで魅入られたように彼等の思惑通りに付き合ってしまうのだ。
還暦猫ミカンにしても例外ではなく、猫の世界を生き抜いてきた百戦錬磨の老猫のくせに何かをねだる時だけは“人の力を借りなければ生きられない”無力で無防備な猫を装って抱かれに来る。


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ちなみに、このところ多いおねだりと言えば「好物の食事」「外出のため玄関を開ける」「背中とアゴを掻く」が上位3つに入っている。
還暦を過ぎてから餌のメニューにうるさくなった事と、以前は勝手に出入りしていたのに外の様子を伺ってから玄関から外出するようになった事、そして地肌が荒れてかデキモノが出て来て痒いらしく身体を摺り寄せ抱かれてくる事が多くなった。
こんな付き合いをしているとゆくゆくは介護を必要とされるのではないかと思ってしまう。還暦猫ミカンの老後にはどんな「猫族世界」が待っているのだろうか?


 


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