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還暦百態物語 [閑話休題]

【フィクション/還暦百態物語~その1】 

じいさんの顔.jpg

60歳の誕生日を迎えていよいよ還暦の仲間入りとなる。
今のところ何も変わりは感じないのだが、その内に赤いちゃんちゃんこやら還暦祝いとやらをされると、きっと年寄り染みた気分が高まる事だろう。
そんな事を意識などしてこなかったが改めて60年生きて来たのかと考えてみると軽いため息が出た。

大晦日に年越しをして特別な気分で新年を迎えたとき、何の変哲もない普段のままの一日に肩すかしをくったような気分になるのと同じ様に、あまり特別意識をするととんでもなく窮屈な行事になってしまいそうだ。
しかしそう言いながらも男は知らない内になんとなくワクワクした気持ちを抑えている自分に気がついた。

歳をとった事のどこが嬉しいのだろう?還暦という位が何かこれまでとは違う価値観を目覚めさせたようだ。
そうだ。何かに目覚めた感覚…。この表現がぴったりする。どこか心の奥底で望んでいたのだろうか、還暦を迎えた時のあのワクワク感は待っていたものがついに来たときの喜びに似た気分だった。
「そうか、私はこの時を待っていたんだ…」
それが何故なのかすぐに理解は出来なかったが気分はすっきりして正直で素直な気持ちになれた。
「何かが自分の身体から抜け出て、何かが刷新されて歩みが始まる」
人生のこれまでの垢を落とした、まさに風呂上がりの気分で街に出るといったところだ。

人はいつも何かでけじめを付けようと考える。何かで線引きをしないと落ち着かないのだろう。還暦という格好のけじめの印が見つかってホッとした気分になる者も多いかも知れない。歳をとるという事に抵抗のある気持ちと、歳をとる事で何か誇らしい気持ちのどちらが勝つかでその人の現われ方が違ってくるのだろう。
…とそんな事を考えながらペダルを漕いでいる内に男はいつもの通いつけの居酒屋に辿り着いた。自転車を入口の脇に立てかけて暖簾の向こうに顔を出した。

「いらっしゃい!おっちゃんの席は空いてるよ」
女将の元気な声が聞こえてくる。狭い店内にいつもの顔ぶれがびっしり埋まっていた。カウンターの右から三番目の席が空いていて、ここが男のいつもの指定席でもあった。
今日は日本酒を鈍燗で飲みたい。じっくり啜(すす)り飲みで60年という時間を味わうように飲んでみたい気分だ。両脇には同じ世代の馴染みがすっかり出来上がって談笑している。もうこの歳になるとサラリーマン時代のように職場や上司の愚痴を肴にすることもない。話す事といえば競輪競馬ギャンブルの結果とか誰それに会ったとかその日の出来事くらいのものだ。

しかしどうしたものか、いつもとは気分が少し違う自分に気がついた。
還暦の境に辿り着いた今日、こんなに生きて来たんだという思いを持ってもっと誇らしい生き方を模索してみようかなどと考え始めている。
「どうしたんだろう?何か新しい生き方というか視点を得たような気分だ」
酒は心地良く体中を巡り手足の指の末端までゆきわたっている。少しばかり酒の量が増えたようで体中の血管がドクドクと音を立てているのが分かる。血の巡りが良くなったのかビジネスアイデアらしき発想が頭に浮かんでは心を躍らせる。これまで「起業」などという言葉は他人の世界の話で自分の頭に浮かんだことはなかったが、妙に現実味を帯びて男の日常に現われたようだった。

<つづく>

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 この読み物はフィクションで構成されているショートショートの習作です。 

※執筆途中ですが時折り加筆して更新をしてゆくつもりです。

 


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第4章~人生の躓き [還暦の荒野をめざして]

石川達三・原作で神代辰巳・監督の『青春の蹉跌(さてつ)』は、私が若い頃に観た邦画の中で忘れられないお気に入り作品のひとつだ。
脚本・演出も出色の出来だが、主演の萩原健一そして井上堯之の音楽が素晴らしかった。
私の頭の中にはいつしか『青春の蹉跌』という題名がそのまま青春を表現するキーワードのように定着していたようだった。

黎明時代01.jpg
 ▲ 若き日のイラスト_ア・ラ・カルト

そして時は流れて老境に入ろうかというとき…
私はちょっとした躓(つまづ)きをしてしまった。まだまだ至らなさのある事を思い知らされた。
働くことに於いてはピンからキリまで様々な世界を経験してきて多少の事では動揺などしない人間のつもりでいたが、老いによる衰えもあるだろうが未だに身の振り方の至らなさを痛感する羽目となった。
これは肉体的な衰えばかりが問題なのではなく、年齢からくる精神の脆弱性だとも思った。歳をとれば人も円熟してその心も強靭なものになるのかと思っていたがそうとも限ら無さそうだ。

人生に「躓き」というヤツはよくあるもので、それを致命的な大事と採るか通過点上での出来事と理解するかはその人の気持ちの在り方に係っていると思う。只いずれにしても“躓き”である事に違いはない訳で未熟な過ちであると認める事が肝心だ。
たいした修羅場も知らないくせに強者ぶった顔をして己の未熟さを顧みない高齢者の多くなった昨今だが、かと言ってあまりに自己批判して卑下し過ぎるのも行き過ぎの様に思える。
程よいバランスで生きることが人生の達人だと思うようになった私だが、そのバランスが崩れるから躓いてしまうものなのだという事も分かった気がした。

「躓き」は幾つになっても、もう大丈夫だと思っていてもやってしまうものだ。常に最善のバランスで生きていられるものではないから、ちょっとした状況の変化で迷ってバランスを崩して“仕出かしてしまう”のが人生なのだと思う。

イラスト'78tokyo_0A.jpg

今更この歳で修身を学ぶと公言するのも愚かしいが、まだまだ改めて気づくことは多くありそうだ。躓く事でまたひとつ賢くなるのだったらそれも人生の拾い物だと思って大切にしておこう。

人生の終盤にさしかかった時に、それでもまだまだ面白く笑える生き方ができれば、そんな素敵な事はない。
先ことなど心配せずに、躓くことなど気にもせずに来るべき時を楽しみに生きていれば、そんな天晴れな人生はないだろう。

人生の到達点は「希望と再生」なのだと悟ったような気がした。

切り株眺め.jpg

 

【青春の蹉跌のテーマ】


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