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高齢者の就業機会 [還暦デビュー雑感]

率直に言って、今の私に起業家マインドは全く宿っていないと思っている。だから新しい事業とかビジネスの構想についてモノを言うのは外れているに違いない。しかし、ただ社会に寄生して生きているのはつまらないとも思っている。だから自立心を持って自分の命を自分の力で養ってゆきたいという考えが頭をめぐる。

一応社会からリタイアしたとされる高齢者ではあるが、確かに社会に適応しなければ世間一般には通用しないのが道理かも知れないが、それでは高齢者は(別称でハッキリ言うならば “老人”は)就業で収入を得ることが困難なこの社会なのだろうか?
自分の思いのままに可能性を求めて生きてみたい。今の私で言うならば、それはこれまでの人生経験や生き様を生かした自身の裁量で生きること。それを可能にするにはやはり自分自身で就業環境をプロデュースしてゆく努力をするしかないのだろう。

内宮大魔神.jpg

「働き方改革」という言葉が流布しているが本来の意味やスローガンの真意を洞察している人は少ないと思う。今の為政者で末端の庶民の事を考える人は少ないと思うが「働き方改革」というコンセプトにしても本来のニーズからズレているのがこの国の政策というものだ。
本当なら大変重要で必要な取組み課題の筈なのだが、人々の期待する答えを導くにはスタッフが貧弱過ぎて叶わないように思える。どんなに素晴らしく期待される命題にしてもこの国の政治家たちに議論させていたのでは正しい答えは得られないだろう。もっと私たちは自立して考える努力をしなければならない。
現代の“姨捨山・楢山節考”は目の前に来ている。

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還暦の猫 その5「老猫の尊厳」 [閑話休題]

いやはや…まったくもって現代のホモサピエンスという種族は厄介な生きものに成り下がってしまったものだ。他の種族はどの様に思っているか知らないが、少なくとも我が猫族にしてみれば迷惑千万この上ない。かつて昔のご主人様は愛玩用として猫たちをこよなく可愛がってくれたものだが(たまに生臭坊主たちが猫を紙袋に押し込んで蹴鞠するという虐待行為があったのも事実だが…)最近では愛玩というよりはナルシストな自分を引き立てるための小道具ペットに貶めて喜んでいる気がする(憤慨プンプン!)

先日、節分の豆まきでも鬼の面を被らされて家中の者から豆を投げられる始末だった。この世に生まれてまだ3年も経たないという若輩たちが特に乱暴者で、悪気はないから勘弁してあげよと主人はいうけれど本当にたまったもんじゃない。お面の眼の穴に向かって射的の様に豆を投げつけるなんてヒドイ事をする。可愛さ余って何とやら…という言葉が人間世界にはあるらしいけれど、そんなの詭弁だね。同じ屋根の下に棲む一族郎党としての優しさを見せて欲しいね。

節分の猫_01.jpg

猫と言えどもそれなりに年を取って還暦も過ぎれば、種族を越えた見識というものが身に付いてくるものだ。お隣に飼われているレトリバー犬や屋根のひさしに遊ぶスズメたちとも互いの魂の尊厳領域は認め合っているのが良識ある生きものの世界という訳だ。(※ちなみに食物連鎖のシステムも自然界の了解のもとに成り立っている事を付加しておく)
ところが霊長類のトップとして万物の頂点に座している筈の人間は、どうも心配りが足らないようで自分たちの世界の事にしか目が届かないようだ。生きとし生けるもの全ては魂を宿しながら切っても切れない関係で結ばれていて花も木も虫も例外なく命あるものは魂を自覚しているのだが、そういった全ての繋がった関係性を何故か人間は人間世界の枠組みでしか捉えていなくて他の生きものの精神世界なんてあるとも思っていないみたいだ。

ま、そんな事はどうだっていい事で、要するに私儀還暦猫としましては豆を投げつけられながらお面の内側で屈辱に泣いていたという事だけお分かり願いたい訳です、ハイ。

節分の猫_02.jpg

豆まきという残酷なイベントが終わってひと息ついていると「お雛祭りにはどんなお面をかぶせようか…」なんていう情け容赦ない話し声が聞こえてきて、この先の身の振り方を考えさせられる一日でした。


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